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東京高等裁判所 昭和36年(う)2441号 判決

控訴人 被告人 森文子

弁護人 小石幸一 外一名

検察官 吉川正次

主文

原判決を破棄する。

被告人を一年八月及び罰金十五万円に処する。

但し、この裁判確定の日から三年間右懲役刑の執行を猶予する。

右罰金を完納することができないときは金千円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

原審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は弁護人小石幸一、同大久保弘武作成の各控訴趣意書記載のとおりであるからこれを引用し、これに対し当裁判所は次のように判断する。

弁護人小石幸一の控訴趣意第一、第二(事実誤認、法令適用の誤の主張)について。

所論は、被告人はいわゆるステツキガールを自己の占有する場所に居住させてこれに売春をさせることを業とした事実はない、すなわち、被告人は浜松市元浜町三一三番地の自宅において「第一文化クラブ」と称するいわゆるステツキクラブを経営し、原判示のいわゆるステツキガールを同所に居住させ、且つ同所を待機場所とし、客の求めに応じてその指定する旅館、料理店、貸席等に同女等を派出して宴席における客の接待にあたらせ、その対価として派出時間に応じ客より支払を受けた線香代と称する金員(一時間につき二〇〇円又は二五〇円の割)を同女等と分け合うという形態の営業をしていたものであつて、被告人は、右ステツキガール等に対し売春を勧誘又は強要したことはなく、右クラブには売春行為のための施設もなく、同女等が右クラブにおいて売春行為をした事実もない、もつとも、派出時間が深夜又は翌朝に亘る場合同女等が派出先において売春をしていたことはあり、そのことは被告人においてもこれを認識していてこれを認容してはいたが、かような場合被告人が同女等に対し売春防止の積極的行為をしなかつたからといつてこれにより売春防止の作為義務のない被告人が売春をさせたものとしての責任を負うべき筋合はない、更に又、被告人は前記線香代のほかに同女等が売春の対償として得た金員を収受した事実もないのであつて、被告人は同女等に売春をさせることを業としたものではない、しかるに、前記のようなステツキクラブを経営した事実をもつて、原判決は売春防止法にいわゆる「自己の占有する場所に居住させ、これに売春をさせることを業とした」と認定して同法条を適用処断したのは事実の誤認であり右法条の適用を誤つたものであると主張するのである。よつて案ずるに、原判決挙示の各証拠を総合すれば、被告人は浜松市元浜町の自宅において「第一文化クラブ」と称するいわゆるステツキクラブを経営していたもので、原判示の○○○子等をいわゆるステツキガールとして雇い、客の求めに応じてその指定する旅館、料理店、貸席等に派出して、同女等をして宴席における客の接待にあたらせ、その対価として派出時間に応じ客より支払を受けた線香代と称する金員(一時間につき二〇〇円又は二五〇円の割)を同女等との間に約定に基づく一定の割合で(線香代二〇〇円の場合は一〇〇円、同二五〇円の場合は一二〇円が被告人の取得分で、その残額がステツキガールの取得分)分け合うという形態の営業をしていたこと、右客よりの派出要求が夜遅くなされこれに応じてステツキガールが派出された場合には、同女等はその派出先において「時間」又は「泊り」と称し客に売春をしていたのが常であつて、このことは被告人において十分諒知しており、被告人は同女等に対し予て「お客と一緒に泊る場合は線香代と枕代を貰え」とか、「お客と一緒に泊るなら安い金で寝てはいけない」などと注意を与えていたこと、被告人は右ステツキガール等を右自宅であるクラブ又は近所の自己の娘の住居に宿泊させており、毎日午後五時頃から翌日午前二時頃までの間は右クラブに参集待機させて右クラブを客待ちの場所としていたのであつて、夜遅く客よりステツキガール派出の要求があると、被告人は右のように同女等が派出先で売春をすることを知りながらこれを認容して同女等を派出し同女等をして売春をさせていたものであること、同女等が線香代及び売春の対償を受取つてクラブに帰つて来ると被告人は同女等より線香代を受取り、その内約定に基づく自己の取得分を取り、残りは同女等の被告人に対する債務に充当するため自己の手中に保管していたこと、かような行為を被告人は原判決摘示の期間続けて行つていたこと、前記のようにクラブに待機することに定められていた午後五時頃から翌日午前二時頃までの待機時間中に、ステツキガールが個人的な用事のため外出した場合とか、被告人から派出を指示されてこれに応じなかつた場合には、その時間に対応する線香代の被告人取得分に相当する額をステツキガールより被告人に納めさせてこれを取得していたものであること、従つて右ステツキガールは被告人に対し、右債務や前借又は営業用着物新調のために生じた呉服代等の債務を各自数万円負担し、それらの支払のほか、自己の小遣銭、家族への仕送りに必要な金員を得るため売春行為による資金獲得の途を選ぶように仕向けられていた実情にあつたことが認められるのであつて、以上認定の事実から被告人の行為は売春防止法第一二条にいわゆる「人を自己の占有する場所に居住させ、これに売春をさせることを業とした」ということができる。しかして、売春防止法第一二条の罪の成立には、業者が婦女に対し売春を勧誘すること換言すれば積極的に売春するよう働きかけること、あるいは婦女に対し売春を強要することを必要とするものではなく、又業者が売春の対償そのものを収受することも必要でないし、婦女が売春行為をする場所については制限されておらず、従つてその場所が業者自身の占有、管理ないし指定する場所であることを要しないのであり、又業者の占有して婦女を居住させている場所に売春行為のための施設の存することも必要でないと解するを相当とするから、所論のように、被告人がステツキガールに対し売春を勧誘又は強要したこともなく、又売春の対償を収受したこともなく、ステツキガールが右クラブにおいて売春行為をなしたことがなく、同所に売春行為のための施設が存しなかつたからといつて、同条にいわゆる売春をさせることを業としたと認めることの妨げとはならないものといわなければならない。又被告人にはステツキガールに対する売春防止の積極的作為義務がないから同法条違反はないとの所論は、原判決の事実認定に副わない主張であつてその前提を欠き弁護人独自の見解で採用の限りでない。して見ると、原判決の事実の認定及び法令の適用は右と同趣旨に出たものと認められるので結局原判決には所論のような事実誤認や法令適用の誤はないものといわなければならない。

なお所論は売春防止法第四条違反を主張するが、同法条の趣旨とするところは、同法第二章所定の犯罪の捜査に従事する者が犯罪の立証を徹底的に行おうとして売春行為の証拠蒐集をする場合に、事柄の性質上、適法の限界を逸脱して人権侵害に陥る虞があるので、かかる弊害の生ずることがないように、法が特にそれら捜査に従事する者に対する注意規定を設けたものがこの法条であると解せられるのであつて、原判決の法令の適用には毫も同法条違反の廉は存しないのである。この規定を直接罪刑法定主義を宣言したものであるとなし原判決の法令適用に同法条違反があると主張する所論には到底賛成できないからこの点の主張は採用しない。

以上の次第であつて論旨はすべて理由がない。

(その他の判決理由は省略する。)

(裁判長判事 長谷川成二 判事 白河六郎 判事 関重夫)

弁護人小石幸一の控訴趣意

第一原判決には著しき事実の誤認の違法があり該誤認が判決に影響を及ぼしている。

即ち

一、原判決は罪となる事実として被告人は浜松市元浜町三一三番地の自宅において「第一文化クラブ」なる屋号で所謂ステツキガールクラブを営んでいる者であるが、右営業に関して別紙一覧表記載の通り昭和三三年八月十日頃から同三六年二月二七日まで所謂ステツキガールとして○○○子他八名を右自宅内に居住させ同女等に不特定の客と対償を受けて性交させもつて人を自己の占有する場所に居住させこれに売春させることを業としたものである〈一覧表省略〉と認定し更らに原判決は被告人に対する情状としてステツキクラブの経営自体が違法でありこれに従事する被告人は高度の反社会性を有する人物である旨判示し被告人に対し懲役一年八月罰金弐拾五万円の極刑に処した。然し原判決はステツキガールと言う職業婦人とこれ等の婦人を抱えて其の置屋を経営する所謂クラブが違法の職業なりと断定したことは原判決の独断であり違法も甚だしい。原審に於て取調べた証人浜松労働基準監督署長関義基、浜松中央警察署防犯課長山崎淑郎等の供述によつてもステツキガールクラブが違法な営業であるとは認められない。凡そステツキガールなる職業婦人の発生したのは終戦後浜松市を中心とする遠州地方に素人芸妓(最近に於ては第二検番と称する組合がある)を指称するもので旅館、料理店、貸席、旅行などに客の接待のために労力を提供してその対価として所謂線香代と称する賃金を受領する職業であり需要と供給の便を図るためにステツキガールを会員として待機所を設けこれをクラブと称して右クラブに電話などにより客の指定する場所に至りて客に奉仕するものでありそれは正規の芸妓、家政婦、看護婦などの置屋制度と何等異なるものではない。さればこそ警察当局に於てもこれを違法の職業として取締つていないのであり行政指導として売春行為のないように指導しているに過ぎない。ステツキクラブの経営は原判決の如き違法な職業ではなく適法な正業でありこれは官民共に容認している職業である。只斯くの如き職業に従事している婦女は酔客などに接触する業態なるが故に売春行為に陥り易きものであることは事実であるがそれが故にステツキガールが総て売春を内容とする職業でありこれを居住させて置く其のクラブの経営が違法であるとは断言出来ないのである。ステツキガール及其のクラブの経営についてステツキガールも其のクラブも正業であること但し個々のステツキガールの中には売春行為もする者がある。従つてステツキガール及其のクラブの経営は原則としては違法な職業でなく適法にして正業であるとの前提に立つて其の個々のステツキガールのうちに偶々売春する者もあると言う二重構造を認識せずして本件を判決することは出来ないのである。然るに原審判決はこの二重構造、この二段階の理論を無視してステツキガールそのものが違法でありこれを置くクラブの経営自体が違法にして高度の反社会性を有すと論断した原判決は事実を曲げて解釈し事実を事実として認定していない。この点に於て原判決は既に重大なる事実の誤認を冒している。

二、原判決は被告人が○○○子他八名を自宅内に居住させ同女等に不特定の客と対償を受けて性交させもつて人を自己の占有する場所に居住させて売春させることを業としたと認定し売春防止法第十二条(管理売春)を適用したが同条の解釈は同法第十三条の第二項と対比して考察しなければならない。これによると第十二条の法意は戦前の「娼家」の経営であり少くとも売春婦を抱えて自己の支配可能の場所に居住させて売春をさせること即ち積極的な居住そして売春が行なわれる施設が必要である即ち娼家の復活を厳禁した規定である。然るに被告人の経営した第一文化クラブとは売春婦ではない客の接待という正業のステツキガールが下宿同様に居住していたに過ぎず被告人の占有している其の場所に於て売春した者は一人もいない。本件のステツキガール等は何れも客の求めによりこの被告人方を出て被告人の管理を完全に離脱し自由の身となつて料亭或は貸席、旅館などに出かけ酒席のとりもちなどをしているうちに売春が行われた場合もあると言うに過ぎない。売春するもこれを拒否するもこれはステツキガールの自由であり被告人は全然これに関与していない。被告人の得る利益もステツキガールとしての正業による稼働時間に応じた一時間二百円又は二百五十円の組合規定の正規の線香代のみであり売春による違法な利益は被告人に於ては毫末も受領していない。然も被告人はステツキガールに対し売春を勧誘したこと又はこれを強要した事実は全然ない。以上の事実は原審記録上明白である。問題はステツキガール組合に於て夜十二時過ぎ又は翌朝に及ぶ線香(賃金)を「通し線香」と称してこれをステツキガールより組合の規定に従つて徴収した事である。深夜又は翌朝に亘る遊興は売春に陥り易い事は被告人も亦認識していてこれを認容していたことは被告人も認めているところである。即ち被告人がステツキガールに対して売春防止の積極的作為をしなかつたこと不作為により被告人が売春をさせたことに該当するか否かであるが凡そ不作為犯の成立するためには作為義務の存在を前提とし然もその作為が可能であることを要する。然るに売春実行のステツキガールは被告人の管理下を離脱した自由の場所にいるのであるから被告人としては売春防止の作為は事実上不可能である。従つてステツキガールの売春行為に対し被告人に刑責ありとなす原判決はこの点に於ても事実を誤認している。

第二原判決は法令の適用を誤りその誤が判決に影響を及ぼしている。

売春防止法第十二条の法意は前顕記載の通り自己の支配下にある場所に売春婦を居住させ其の施設に於て自己の支配の下に売春させる所謂娼家復活禁止の規定である。然るに本件被告人に於ては記録上前顕記載の通りステツキガールは単に自己の居宅に居住させて置くだけにてステツキガールの営業の場所は被告人以外の第三者の支配する旅館、貸席等である。而して売春防止法第四条は「この法律の適用にあたつては国民の権利を不当に侵害しないように留意しなければならない」と適用上の注意規定の存在することに留意しなければならない。この第四条は明らかに罪刑法定主義を注意的に宣言したものと解するものであり従つて売春防止法の適用解釈に当つては類推解釈又は拡張解釈を厳禁したものと解せられる。従つて本件被告人の所為については売春防止法第十二条を適用すべき案件ではないのに原判決はこれを無視して被告人の所為を売春防止法第十二条に該当すると拡張解釈して同条を適用したのは法令の適用を誤つたものと言わねばならない。

(その他の控訴趣意は省略する。)

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